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Posted by だてBLOG運営事務局 at

2010年09月15日

黒い煙のようなもの

先手必勝!

ぼくのネコパンチが悪霊の顔面をみごとに引っ掻いたのだ。

傷口から黒い煙のようなものを出しながらもだえ苦しむ悪霊。

ぼくは悪霊の反撃を警戒しながら、いつでも二発目のネコパンチを出せるようかまえた。

悪霊はぼくの気迫に恐れをなしたのか威哥王 販売

「この少女が心の扉を閉ざすかぎりおれは滅びない。なぜならおれはこの少女が生み出した闇だからだ」

と捨て台詞を言い残すと、両手で顔を押さえたまま床に吸い込まれるように消えてしまった。

(ゆかちゃんの心の扉が閉ざされている限りか……)

ぼくは悪霊が逃げた後もしばらくのあいだ爪を光らせて警戒した。

逃げたふりをしてどこかに隠れているかもしれないからだ。

ベッドの上ではゆかちゃんが死んだように眠り続けていた。

しばらくしてぼくは、悪霊の気配が無くなったのを確信すると、ゆかちゃんのベッドのところまで駆け寄った。

そして床から背伸びしてベッドに両手をかけると、ピョンとその上に飛び乗ってゆかちゃんの寝顔を覗き込んだ。

静まりかえった部屋の中でゆかちゃんの呼吸する音だけがする。

(ここに来た時よりも安らかな寝顔だ 男宝

そうに感じたのはぼくの気のせいだろうか。

ぼくはしばらくの間ゆかちゃん寝顔を見守った。

  


Posted by 本能 at 16:17小説

2010年09月13日

異界-日本皇国奮戦記-外伝

 僕の名は松永浩一郎という。帝国海軍上等飛行兵であり、九七式艦上攻撃機の電信員をしていた。あの日、ミットウェー攻略作戦が不備に終わり、本土に帰還したらまるで違う世界にやってきていたのだった。誰に聞いても原因は不明で、山本長官以下この世界に現れたわれわれは日本皇国海軍軍人として生活する事となったのだった。

 見るのも聞くのもすべてが驚きだった。その驚きをどう表現していいのか今もってわからない。しかし、あれこれ考える暇もなく、教育が始まったのはよかったと思う。もしあそこで十分時間を与えられていたら、僕は発狂していたかもしれないからだ。とにかく、理解し、新たな技術を身につけ、一人前になることを求められたおかげで、思い悩むことはなかったからこそ、今の僕がいるのだ。

 最初に見せられたのがテレビというものだった。中津島にいながらにして、皇国全土のことが瞬時にしてわかるという。僕の時代では、娯楽というものは大してなかった。それに比べれば、この世界はすごいと思った。最初の一ヶ月は僕の精神状態が普通ではなかったため、脈絡のないことを書いていたが、落ち着いてかけるようになったのはそれ以降のことだった。

 僕らは皇国海軍軍人としての教育を最初から受けなおしたが、それには士官であろうが兵であろうが関係なく行われたと聞く。そして、僕ら艦載機乗りは恵まれていたかもしれない。なぜなら、数が少なかったからである。艦艇乗員は多く、いろいろな混乱があったと聞くが、僕ら艦載機乗りはそうでもなかった。士官と兵は別々であったが、それでも最初の一般教養教育は平等に受けられた。

 これは僕らにとって衝撃的なことばかりだった。テレビ放送は誰もが制限なく見られ、ラジオも制限なく聞くことができたのは驚きだった。僕は時間の許す限り、 性欲増強通販テレビやラジオを見たり聴い足りしていた。この世界の動きがわかるといわれたからである。しかし、同時に有害な情報も多いと聞いていたので、情報を丸呑みすることだけはしないように注意していた。

 一般教育を受けて五ヶ月、僕らは重大な決断を迫られることとなった。軍人として海軍に残るか退役して一般民として暮らすかである。むろん、僕らは海軍に残ることを選んだ。後で知ったが、徴用された民間船舶の乗員以外は退役するものはいなかったという。誰だって経験のない仕事をするよりも慣れた仕事をしたいと考えていたと思う。民間船舶の乗員にしても、海運会社勤務という職があるからこそ、軍に志願しなかっただけだろう。

 艦載機に限らず、航空機はすべてがジェット機になっており、僕らの乗っていた航空機は無用とされた。むろん、廃棄とするわけではなく、いろいろと転用されるということであったが、僕らにはそれを考えている余裕などなかったのだ。新しく配備予定の戦闘攻撃機は複座であり、対潜哨戒機や輸送機などは二人から一〇人乗り組むと聞かされていた。僕はパイロットではなかったからどうしようか迷ったのだが、適性検査という試験でパイロット候補とされたのだ。むろん、ほかの道を選ぶこともできたのだが、やはり、パイロットになりたかったので、それを選んだのである。

 艦載機パイロットの訓練とはいえ、担当するのは皇国海軍ではなく、皇国空軍であった。これには理由があり、海軍の初等練習機は並列複座配置であり、空軍が縦列複座配置であるためだった。これは海軍が装備している機体の多くが大型機であり、並列複座配置が主流であったからである。つまり、艦載機の多くが縦列複座になるため、海軍では教育できなかったということにある。このときまで、海軍は航空母艦を有していなかったことも原因だと思われた。

 今後は別として、この当時は空軍が担当することとされていたため、座学は海軍の教官で実技は空軍の教官であり、多少の混乱があったのは事実である。しかし、僕らにとってはそんなことにかまってはいられなかったのも事実であった。とにかく、早く一人前に成ることに必死だったのである。

 操縦経験のなかった僕ら(他にも三〇〇人近くいた)は、座学からはじめ、T-3初等練習機による飛行から始められた。むろん、操縦経験のあるパイロットはこの課程を飛び越えて早くもジェット機に乗っていたと思う。ただ、僕はこの世界で始めて操縦経験をしたこと、単独飛行をしたことが彼らに比べて良い点だったと思う。なぜなら、妙な癖がつくことなく、真っ白な状態でジェット機に乗れたからである。三ヶ月後、僕らは中等課程に移ることとなった。

 僕らの目の前にあるのは、T-4中等練習機であった。移転前から配備されており、これまで使用されててきたジェット練習機であった。もちろん、僕らと違って伝統ある大日本帝国海軍航空機パイロットであり、それなりの実戦経験があった人は、レシプロ機による初等練習課程は考慮されていなかった。座学ではいろいろと叩き込まれているが、それは何も僕らに限ったことではない。こと座学に関して言えば、空母機動部隊のパイロットすべて、否、下駄履き(水上機)乗りを含むすべてが同じ位置に立っていた。あの板谷茂少佐や村田少佐などそうそうたる人たちがいるのである。

 T-4中等練習機の諸元は次のようになっていた。全幅九.九四m、全長一三m、全高四.六m、乗員二名、自重三七九〇kg、全備重量七五〇○kg、発動機石川島播磨重工F3-IHI-30ターボファン推力一六六〇kg×二、武装なし、最大速力M○.九、航続距離一三○○km(機体内燃料)、一六七〇km(増槽使用)、上昇限度一万五二四〇mというものであった。座学によれば、練習機としては優れているが、戦闘機としての使用は考慮されていないとのことであった。僕の知る<赤とんぼ>と同じようなものだろう。

 初めて乗ったときはその加速感に驚いたものだ。九七式、T-3初等練習機とはまるっきり異なるものだった。操縦特性もかなりデリケートなものだといわざるを得ない。零戦や九九式艦爆、九七式艦攻のパイロットたちが操縦に苦労しているのが噂として聞こえてくる。元の僕の乗機のパイロットの三沢一郎飛曹長も難しいと話していた。僕はそう難しいとは思わなかったが、やはり癖がついているとなかなか直らないらしい。

 しかし、中には簡単に乗り越えてしまう人もいると聞いた。村田重治少佐や板谷茂少佐、友永丈市大尉らがそうらしい。なぜなら、彼らは最も早く単独飛行を行っていたからである。幸いにして僕には妙な癖はついておらず、目標の二ヶ月で単独飛行にこぎつけることができた。僕の同期の多くも三ヶ月を経ずして単独飛行にこぎつけている。

 もっとも、単独飛行ができるのと戦闘行動ができるのはまた別の話であって、帝国海軍時代ではここからが個人の精進の差が出るといわれていたらしい。らしい、というのは僕は操縦課程を経験していないからであり、三沢飛曹長に聞いた話であるからだ。

 パイロット約八〇〇人に対してT-4練習機は二〇〇機、毎日飛べるわけではなく、四日に一度ということになり、その間は座学で埋まることとなった。もちろんそれだけではなく、いろいろな実技教練もあった。教官によれば、通常なら二年以上かけて行うところを僕らの場合、速習課程で一年以内の終了を目指しており、各地に分散されている練習機の五割がここ中津島に集められているという。

 もうひとつ、面白かったのがシミュレーターという機械があった。これは地上において、T-4練習機の操縦訓練が行えるものであった。ものすごい機械だと思うが、多くのパイロットからは不評であったようだ。その理由は風が感じられない、ということにあったようだ。いくら精巧に作ってあっても、やはり実機とは異なるらしい。ここでいう風とは、どういう意味なのか僕にはわからないし、僕自身はそう気にはならなかった。

 僕らの課程は戦闘機操縦課程であったが、他にもいくつかの操縦課程があった。輸送機操縦課程、対潜哨戒機操縦課程、早期警戒管制機操縦課程、ヘリコプター操縦課程などである。僕の飛行課程同期で半数が中等課程に移る前にそちらに流れていた。やはり適正の問題もあって、必ずしも戦闘機操縦課程にとどまれるわけではないらしい。特に、これまでのレシプロ機からジェット機に変わることで、零戦乗りや九九式艦爆、九七式艦攻のパイロットからも脱落者が出たという。

 中等課程に移って五ヶ月、飛行課程が始まってから八ヶ月、ついに主力機であるF/A-5戦闘攻撃機<流星>に乗ることとなった。むろん、先行量産型であるため、機数は二〇機と少ないが、配備されてきたのである。そして、これからが本当の意味での艦載機乗りとしての訓練が始まったのである。しかも、僕らにとっては最重要とされる訓練、それが母艦からの発艦および着艦訓練であった。とはいえ、皇国海軍には艦載機乗りはおらず、僕らの側にはジェット機による経験者はいなかった。結局、元の艦載機パイロットが理論によって行うこととなった。

 F/A-5戦闘攻撃機<流星>その諸元は次のようになっていた。全幅一一m、全長一六m、全高五m、乗員二名、自重一万○六八○kg、全備重量二万○七六○kg、発動機石川島播磨重工F-5-IHI-80ターボファン推力七二○○kg×二、武装二○mmバルカン砲一基(弾数五六〇発)、空対空誘導弾×四、ASM-2対艦誘導弾×四など最大五七〇〇kgまで搭載可能、中絶薬最大速力M二.○、航続距離四一○○km(増槽使用)、戦闘行動半径八五○km、上昇限度一万八〇〇〇mというものであった。

 これをみても、これまでのレシプロ機とは雲泥の差があった。まずもって、着艦速度、地上の滑走路でもそうであるが、レシプロ機とは違いすぎるのである。しかし、案ずるより産むが安しという諺があるように、ジェット機に変わっても離着艦の経験がものをいったようで、多くのパイロットが問題なくこなしていったのである。もっとも、僕ら自から操縦して着艦の経験のない、下駄履き乗りも含めて、にとっては生半可なものではなかったといえる。誰が言ったのはかは知らないが、正しく、制御された墜落そのものであった。
  


Posted by 本能 at 18:13小説

2010年09月08日

謎のビューティフルな人は……

 秀樹は眉間に皺を寄せ、テニスコートにたたずむ謎の人物を凝視する。
「やっぱり女に見えるけどな。お前らはどうよ?」
 薄毛横わけの光一はかけている眼鏡を外し、Tシャツで丁寧に拭き取ると、生真面目な仕草で眼鏡をかけなおした。
「ダメだ、顔が良く見えない。俺も雅也と同じで、また視力が悪くなったようだ。新しい眼鏡を作らないとダメだな。優作、お前には見えるか?」
「ダメ。顔まではわからん。俺もコンタクトが合わなくなった」
「情けえねえなお前ら。いつからそんなジジイになったんだ。パソコンでエロ画像の見過ぎじゃねえのか」
 朝昼晩とエロ動画を見続けている秀樹に言われたくない。
「きゃっ、こっちに来るわよ」
 靖子がキャピキャピっと、少女のように嬉しがる。女子連中も口々に、"三便宝 販売" 「きゃっ」と恥じらいながら頬を赤く染めた。
 むむっ、ライバル出現。しかし、女子は男の人と言ったが、秀樹はいい女と言ってる。どちらが本当なんだ? 日頃のおこないで判断すれば、明らかに秀樹の事など信用できない。だが、なのである。秀樹のエロ目は女を見るだけのために、顔の中心についていると言っても過言ではない。それを判断できなければ秀樹の濁った目ん玉などは、卓球部の隅で埃まみれで転がっていた薄汚い二つのピンポン玉を、とりあえず入れちまえと無理やりはめ込んだような物なのである。
 テニスコートに、突然、強い風が吹き抜けた。
 全身白ずくめの謎の人物は、横から吹き付ける風にあおられた。
 胸元が少しはだけた真っ白な半袖のシャツは、柔軟剤のCMのようにバサバサと気持ち良さそうにはためいている。白いパンツのポケットに両手を突っ込みながら、一歩一歩ゆっくりとした足取りでこちらに近づいて来る。
 女? 男? どちらにでも見える。
 背はすらりと高く。耳が隠れるくらいの艶のある茶髪。風に揺れる長い前髪が邪魔をして、目元は見えない。だが、高い鼻筋と、形の良い口元が微笑んでいるのは見て取れた。
 謎の人物は俺たちの前に立つと、長い前髪を掻き上げ、
「やあ、こんにちは、えらい楽しそうにしてはるね」
 白い歯を見せて、照れくさそうに笑った。
 どストライ~ク! ストライクアウ~ツ! ゴールゴール、ゴ~ル! 王手車とり! むむむっ、参りました……。
 な、なんといい女。目はキリリと涼やかでいながらねっとりと妖艶のような、潤んでいるようでいないような、甘いようできついような、処女のようで実はもの凄いような、もうなんだ訳がわからないようでわかるような。とにかく簡単には説明できない、小鼻が爆発するほどのいい女なのだ。
 俺の股間は疼き、小鼻を全開にした雅也もただならぬ事を考えているのか、ハゲ頭に汗がビッチョリ浮き出ている。光一と秀樹もあんぐり口を開け固まっている。おそらく、あそこも固まっているはずだ。
 そんな、ただならぬナニを仕込む四人衆もどうかと思うが、女子四人も見事にただならぬ感じになっているはずなのだ。
目をハート型にして見とれる女子の下半身も、
「美香ちゃん、自分の赤い傘持って行きなさいよ」
「いいよまだ小降りだし。学校まで走って行くから大丈夫。じゃお母さん、行ってきま~す」
「あっ、ちょっと待って――も~っ、美香ったら、女の子のくせにお転婆なんだから。誰に似たのかしら、まったく」
「お姉ちゃんはお母さん似だよ。僕も行って来る。お姉ちゃん待ってよ~」
「コラ秀行! あんたも傘持って――行っちゃった。姉弟で困ったもんね……。さっ、あたしは洗濯しなくちゃ。でも、梅雨時は洗濯物が乾かないで困っちゃうわ。お父さんに乾燥機ねだっちゃおうかしら。でもダメよね。内緒でバック買ったのばれちゃったから、そんなこと言うと怒られちゃうわね。あ~あ、早く梅雨が明けないかしら」
 結婚して十五年、子供はすくすく育ち、夫も良きパパで浮気の心配もない。普通が一番の幸せ、と母親から贈られた言葉を実践してる幸せな私。としみじみ噛みしめる二児の母孝子四十五歳が、梅雨空を見上げて心配するような、そんなシトシトと鬱陶しい小雨状態のナニのはずだ。中には、局地的集中豪雨の方もいるかもしれん。
 そんなただならぬナニを持つ男四人衆と、梅雨時シトシトのナニナニを持つ四人のガールズたち、若干名、ゲリラ的な豪雨のナニナニも交じっているが。
 そんなことなどおかまいなしに、謎のビューティフルな人は続ける。
「迷惑やなかったら、自分も仲間に入れてくれへんかな?」
 その辺に転がっていたラケットを拾い上げて、クールでホットなスペシャルスマイルを惜しげもなくまき散らした。
 だが、おやおやと思う。先ほどから気になっていたのが、ハスキーな声と、関西弁で「自分」という男っぽい言葉遣いはなんだろうか?
 このビューティフルな人は、男?
 梅雨空ガールズたちはポーっと見とれているが、ただならぬ四人衆は揃いも揃ってアホ面さげて首を捻った。
「どないしたん?」
 ビューティフルな人は、俺たちの凄まじいアホ面加減に戸惑ったのだろう。首を傾げて目を丸くしている。その仕草がまたかわゆいのだ。
 やっぱり女なのだ。間違いないのだ。そうキッパリ断言して、うんうんとキッパリビッチリうなずいていると、
「あの~、あなたのお名前は?」
 小ぬか雨一号の靖子が、ポヤ~とした目でまったりと聞いた。
「名前? マコトっていうんやけど。よろしく頼むわ」
 ビューティフルな人改めマコトビューティフルは、並びのいい白い歯をキラリンチョと輝かせ弾けるように笑った。
「マコトさん……」
 梅雨空ガールズたちの目の色が変わり、おまけに顔色も茹でダコのように赤く染まった。
もう、「小ぬか雨だから傘などいらぬ。濡れてまいろうぞ」などと悠長なことを言ってる場合ではなくなった。孝子が、「だからあれほど言ったのに。急いでいかなくちゃ」と集中豪雨の中、"三便宝カプセル" 姉と弟の傘を学校に届けるために、黄色い合羽を着こんでママチャリをすっ飛ばしている状況だ。
 マコト……。
 このビューティフルなお方が、男とな。良く見ればお胸のふくらみもないような。そして、穴のあくように顔を良く見てみれば、薄っすらとお髭が生えているような。うむむ、ちょっとガッカリしたような……。
  


Posted by 本能 at 17:59Comments(0)小説